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最高裁判所第二小法廷 昭和57年(あ)560号 判決

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人金城睦、同鈴木宣幸の上告趣意第一の一は、憲法前文、一四条、四四条、九三条違反をいうが、公職選挙法二五二条が憲法の右各条項に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和二四年(れ)第一九〇九号同二五年四月二六日大法廷判決・刑集四巻四号七〇七頁、同二九年(あ)第四三九号同三〇年二月九日大法廷判決・刑集九巻二号二一七頁)の趣旨に徴して明らかであるから、所論は理由がない。

同第一の二は、憲法九三条二項違反をいうが、地方公共団体の長に選出された者に対し、法律の定めるところにより、その者が犯した公職選挙法違反の罪につきその失職をもたらすことととなる刑を言い渡しても、憲法の右条項に違反するものでないことは、当裁判所の前掲各大法廷判決の趣旨に徴して明らかであるから、所論は理由がない。

同第二は、単なる法令違反の主張であり、同第三は量刑不当の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

弁護人斎藤鳩彦、同西嶋勝彦の上告趣意第一点の一は、憲法三一条違反をいうが、公職選挙法二五二条が憲法の右条項に違反するものでないことは、当裁判所の前掲各大法廷判決(なお、昭和三〇年(あ)第一六九九号同年一一月二二日第三小法廷判決・刑集九巻一二号二四九六頁参照)の趣旨に徴して明らかであるから、所論は理由がない。

同第一点の二は、憲法三一条違反をいう点を含め、実質は量刑不当の主張ないしは単なる法令違反の主張であり、同第二点の一は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

同第二点の二は、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない(なお、本件において、不正の手段により国庫負担金の交付を受けた者は地方公共団体である与那国町であり、被告人外間は、与那国町の右違反行為につき、その行為をした同町の職員として、補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律三三条二項によつて同法二九条一項の刑を科せられるのであるから、原判決が同被告人の本件所為に対して同法二九条一項のみを適用して同法三三条二項を適用しなかつたのは誤りであるが、この違法をもつて刑訴法四一一条により原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものとは認められない。最高裁昭和五四年(あ)第一二五七号同五五年一一月七日第一小法廷決定・刑集三四巻六号三八一頁参照)。

同第三点は、量刑不当の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

弁護人河合弘之、同西村國彦、同栗宇一樹、同池永朝昭の上告趣意第一は、憲法三一条、三二条、三七条違反をいうが、記録を調べても、保釈に関連して被告人ないし弁護人の訴訟活動につき不当な強制があつたとは認められないから、所論は前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

同第二は、憲法九三条二項違反をいうが、公職選挙法違反の罪を犯した者に対しその被選挙権を停止することとなる刑を言い渡しても、憲法の右条項に違反するものでないことは、当裁判所の前掲各大法廷判決の趣旨に徴して明らかであるから、所論は理由がない。

同第三は、憲法三七条一項違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であり、同第四は、単なる法令違反及び量刑不当の主張であり、同第五は、再審事由の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

同第六のうち、公職選挙法二五二条の憲法一四条違反をいう点は、公職選挙法の右条項が憲法の右条項に違反するものでないことは、当裁判所の前掲各大法廷判決の趣旨に徴して明らかであるから、所論は理由がなく、その余の憲法一四条違反をいう点の実質は、量刑不当の主張ないしは単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

同第七は、憲法一四条、一五条、三一条違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であり、同第八は、量刑不当の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(鹽野宜慶 木下忠良 宮崎梧一 大橋進 牧圭次)

弁護人金城睦、同鈴木宣幸の上告趣意

第一 憲法違反

一 〈省略〉

二 原判決が被告人外間の公民権停止が妥当であるとの判断をしたのは、本件の場合には、憲法九三条二項に反することとなり、違憲である。

憲法九三条二項は、「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律で定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」とし、地方公共団体の長を、住民の直接選挙で定める旨規定している。

ところで、被告人外間は、本件事件当時与那国町の町長の職にあつたが、本件裁判中任期が切れ、昭和五六年一月の町長選において立候補して当選し、現在もその職にある。そして、原判決の前記判断により、被告人外間が公民権を停止されれば、当然与那国町長の職に就くことができなくなる。しかしながら、これは住民が直接、選挙により選出した首長を、一片の判決で奪い、住民の意思を全く裏切ることになるから、憲法九三条二項に反するといわねばならない。

民主主義社会においては、主権者たる国民の意思が最高絶対のものである。これを地方自治の関点からいえば、当該地方の住民の意思が最大の尊重をされなければならないことは当然である。そして地方自治体の最高責任者である首長の選任が住民の直接選挙によるべきことは前述のように憲法上の要請であり、右選挙の結果は、地方住民の意思の最大の発露として十分尊重されるべきことは論をまたない。本件の一審判決は、右の点を十分考慮に入れて、被告人らの公民権を停止しなかつた。しかるに原判決は、右の点を軽視し、住民の意思を無視して被告人らを公民権停止するのが妥当であるとの判断を下したのである。しかし、このようなことが、安易に認められていいものであろうか。司法権も民主主義社会では国民主権に由来するものである以上、国民主権との関係ではその発動について一定の抑制があつてもおかしくはない。いわゆる統治行為論は、高度の政治性を有するものなど一定の事項については、たとえ法律問題として法的判断が可能な場合であつても、その最終的判断を主権者たる国民に委ね、司法権の自己抑制を承認する理論である。この統治行為論によれば、行政府の行為や判断・措置についてさえ一定の場合司法権が及ばず、究極的には主権者たる国民の判断に委ねられるというのであるから、主権者の直接の判断がある場合、なお一層、司法権はその主権者の判断を尊重しなければならないと考えるべきことになる。これを本件に即していえば、被告人らの公民権停止の是非が大きな争点となつていた本件裁判中に、主権者たる住民が、被告人外間を自からの首長として選挙により選出したのであるから、(なお、この選挙においては、被告人外間の対立候補の陣営では、被告人外間が本件裁判により公民権が停止されることのみを宣伝し、選挙民は、被告人外間が公民権を停止されうるということを熟知していた)司法もこれを尊重し、選挙民=地方住民の下した判断と異なる判断を下すことはできないし、これがまた憲法九三条二項の要請するところであるといわねばならない。

第二 法令違反〈以下、省略〉

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